嬉野茶について
Ureshino tea
うれしの茶(嬉野茶)
「嬉野茶」は、日本茶の中では珍しい独特の丸みを帯びた形状から、玉緑茶(たまりょくちゃ)とよばれます。一枚一枚が丸く緑茶の艶が深く、香りや旨みが強いという特徴を持ち、急須の中でゆっくりと開きながら旨みを抽出していくため、そそぐたびに味や香り、旨みの移り変わりを楽しめるお茶として人気です。
2002年に「佐賀県または長崎県において生産された原料茶を100%使用し仕上げ加工した茶を統一銘柄「うれしの茶(嬉野茶)」とし、50%以上100%未満使用を「うれしの茶ブレンド(嬉野茶ブレンド)」としています。
主産地である嬉野町は、県南西部に位置し長崎県東彼杵郡と隣接する町で、なだらかな山間で霧深く、昼夜の温度差があり日照量などの条件が、茶の栽培に適した地域です。
「日本三大美肌の湯」である嬉野温泉とともに全国的に知られ、世界的に有名な有田焼や伊万里焼、唐津焼、嬉野で歴史を刻んだ吉田焼などの陶磁器のファンからも観光地として愛される魅力ある町でもあります。
全国茶品評会の蒸し製玉緑茶部門で品質上位の産地に贈られる「産地賞」と最高品質を表す「農林水産大臣賞」を5年連続で獲得しています。また釜炒り茶部門でも「産地賞」と「農林水産大臣賞」を受賞しており若芽で丁寧に作る「うれしの茶」のおいしさは、まさに折り紙つきです。
伝統を守りつつ、新しい技術を取り入れながら感性をみがく後継者も、うれしの茶の将来を担うため県外などでの勉強を重ね確実に育っています。
おいしさと人気の秘密
文部省唱歌「茶摘」の八十八夜とは、立春から数えて88日目(現在の暦で5月2日ころ)のことで、ちょうどこの頃盛んになる一番茶摘を歌ったものです。
嬉野では、この一番茶の育成時期にあたる4月中旬頃、茶園がある山間が朝霧に包まれるという好条件で、葉にふれるほどよい水分が新芽の育成にとても良いのです。また、昼夜の気温差が茶の育成にメリハリを与え、味をまろやかにし、ほどよい香りとコクを育みます。
太陽の光をたっぷりと浴びた茶は、香りや味を濃くするなど、茶園の条件によっても違いがあります。これら特徴ある茶は、飲む人の嗜好や価格も手ごろに合わせるため、ブレンドという技術が生かされます。五感を研ぎ澄まし、水色を目、味を舌、香りを鼻でと調整するその技術は鍛錬された匠の成せる技です。
ブレンド商品 うれしの茶は、日本茶の中では珍しい独特の丸みを帯びた茶の形状から、玉緑茶(グリ茶)と呼ばれます。一枚一枚が丸く緑色の艶が深く、香りや旨みが強いという特徴を持ち、急須の中でゆっくりと開きながら旨みを抽出していくため、そそぐたびに味や香り、旨みの移り変わりを楽しめるお茶として人気です。
蒸し製玉緑茶
深みのある緑色の美しい水色に豊かな香りとまろやかさが深いお茶です。やわらかい新芽を蒸した後じっくり揉み乾かして作ります。丸みを帯びたグリっとした形状が特徴です。
「高級茶」から「普通茶」まで幅の広い商品があり、うれしの茶の主流を占め、多くの人に愛されているお茶です。
釜炒り茶
透明感のある爽やかな水色に釜炒りの香りが際立ち、さっぱりしたのどごしを楽しめるお茶です。生産量が「うれしの茶」全体の5%ほどと限られており、希少価値の高いお茶です。
伝統製法をそのままに生茶を釜で炒り、発酵を止めてから揉み乾かして作ります。日本茶の起源とうれしの茶の歴史を感じてください。
「うれしの茶」の歴史・釜炒り茶発祥の地
「釜炒り茶」発祥の地とされる嬉野町は、明(現在の中国)の陶工(陶磁器の製造をする人。陶芸家)が焼き物文化とともにお茶の栽培をもたらしました。1504年に陶工である紅令民が明から釜を持ち込み、南京釜による炒葉製茶法を伝えたことが、嬉野式の釜炒り茶の始まりとされています。
その後、1650年頃に佐賀藩肥前白石郷の吉村新兵衛(1604~1657)が自らの当地(嬉野町不動山地区)の山林を切り開きました。そこに茶種を蒔き栽培しながら、南京釜の製法を改良し近隣に広めるなど、茶業の振興に努めたことが、一大産地となった「うれしの茶」の始まりといわれています。現在、吉村氏が蒔いた茶樹と伝えられ、樹齢350年以上と推定される大茶樹が不動山皿屋谷にあり、これほど大きな茶樹は世界的にも珍しいと、大正15年に国の天然記念物に指定されました。

